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1-1、
エリュトロン(壱の月)とアービー(弐の月)が共に満ちている明るい夜だった。
仄かな赤の月とやわらかな蒼の月に照らされながら、夜は静寂に包まれていた。
エクラトの第一等星が南の空高くに輝いて、収穫の秋が近いことを知らせている。
月明かりに照らされて雲が少し残っているが、雨を降らせることはないだろう。
そんな切れ切れに浮かんでいる雲よりさらに上、地上を流れるヴィーズの大河と広がるミュルクの森と浮雲とを同時に見下ろすことのできる超高度の上空を一匹のドラゴンが滑るように飛んでいた。
面長の顔に兜を着け、胸や四肢にも鎧を纏っている。風を切る翼、長く伸びた尾、身体すべてが白い鱗に覆われていて、月の光を受け淡く輝いていた。
胸部の甲冑の真ん中あたり。ドラゴンの翼をモチーフにした紋章が彫られている。そのことからこのドラゴンがエイリル王国の竜騎士団に所属するドラゴンであることが窺える。
ドラゴンの名をディーノという。
「――ねぇミリア。こんな高いところから行ってほんとに大丈夫なの?」
ディーノは少しためらいながら自分の背中に向けて声を掛けた。
ディーノの背中、取り付けられた鞍に跨りディーノの背中にすがりつくような前傾姿勢を保ちながら一人の少女がそこにはいた。
左手に手綱を握り締め、右手にかなり大型の槍を携え、そのくせ体に着けているのはチェインメイルとガントレットだけ。盾も持たず、下は薄い布地のスカートのような防具だけという軽装だ。
兜も被らず、少し短めのスカイブルーの髪を夜風にさらし、そして、小さな顔を半分以上も覆うような大きなゴーグルを装着していた。
少女の名をミリアという。
少女、といっても彼女はもう22歳になるが、竜騎士というにはあまりに華奢な体つきはどうしても幼さが拭いきれない。
しかし、ゴーグルの中のミリアの瞳は間違いなく戦士のそれだった。
敵を討ち下すための強い意志を秘めた眼差しだった。
大きく翼を羽ばたかせながら、ディーノが再びミリアに声を掛ける。
「……ねえ、ミリア聞いてる?」
「なに?」
ミリアが短く応える。『そんなの聞くまでもないでしょう?』という意味を多分に含めて。
きっとなにを言ったって聞き入れてはくれないだろう。一度言い出したらミリアは絶対に退こうとはしない。そのことをディーノは良く知っている。
「なに? じゃなくてさ。ほんとに平気? 今までこんな高いとこから落ちたことなんてないでしょ? ほんとに怪我しても知らないよ」
それでも、たとえ聞き入れられないと分かっていてもディーノはやはり聞かずにはいられない。それは純粋にミリアの身を案じてのことだが、
――あんまり危ないことに僕まで巻き込まないでよ。
そんな思いも若干混じってのことだった。もちろん、ミリアに直接言えるはずもないのだが。
もっとも、ミリアが自らの力を決して過信したりしないこともディーノは良く知っている。だから、
「大丈夫よ」
ミリアがそう言うからにはきっと大丈夫なのだろう。ディーノもそれ以上は追求しないことにした。
「それより、目標地点はまだなの?」
「ん? もうちょっとだよ。ほら、まっすぐ前に見える山の麓。あそこが目標地点」
ディーノの言葉に促されて、ミリアは身体を横にずらし、ディーノが鼻先で指し示した方を見つめる。
そのさきにあったのは森と山との間の大きな平原。大河の支流がちょうど真ん中を流れ、蛇行する川の流れに沿っていくつかの三日月湖が点在している。
そんな中、エリュトロンとアービーの二つの月を水面に映した三日月湖の傍にたいまつの灯かりがいくつも燈されているのが見えた。
良く見ると、その周辺だけきれいに草が刈り取られ黒い大地が剥き出しになっている。その剥き出しになった大地を大きく取り囲むように塀と堀とが築かれ、その塀の内側には大小のテントがいくつも張られているのが確認できた。
そして、
「……あの基地作ったの、どこのお馬鹿さんかね?」
「…………」
ディーノとミリアはそれを目にして、唖然とするほかなかった。
拠点の中心にある、まわりよりも一段と大きなテント。その天幕の布には敵国・ラスタ帝国の紋章がバッチリと刺繍されていて、はるか上空のディーノとミリアにもそれを見ることが出来た。
「……あれじゃあさぁ、自分から見つけてくれって言ってるようなもんだよねぇ。たいまつだってやたらに点けすぎだし、だいいち大きすぎない? あれって一応“秘密基地”なんでしょ?」
「まあ、攻撃拠点としては間違ってはいないと思うけど――」
「どこを攻撃すんのさ? わざわざこんな遠くからエイリル王都まで進撃するつもり? それとも、いちばん近くのベントレーの村でも襲うの? こんな田舎にあんな大型の基地作ったって宝の持ち腐れもいいとこだよ」
敵陣の陣営をため息混じりにけちょんけちょんに貶すディーノ。その間も、ミリアは冷静に敵陣営を見据え、頭の中で敵陣鎮圧までの工程をシミュレートしていく。
もっとも、今回はそれほど頭を使うようなこともなかった。
「あの陣は絶対、どっかの諸侯のドラ息子が父親の権力かさに着て指揮してんだよ、きっと。でなきゃ、あんなセンスの悪い建てかたしないって。まったくさぁ、ご丁寧に堀まで掘っちゃって。あんなガチガチに守り固めたってこんなとこまで誰も攻撃なんかしに来ないって」
なおも非難囂々のディーノに対して、ミリアは愚痴りっぱなしのドラゴンの頭を軽く小突きながら返した。
「私たちがするでしょ、攻撃」
「――あ、そっか」
一旦、敵陣上空を横切り風を切りながら大きく右に旋回。高度を少し落としながら再び敵陣上空へと達する。申し合わせたかのようにそこにあった雲の中にそのまま一度姿を隠した。
「どう? 作戦はもう決まった?」
「――今回は、作戦なし。たぶん力で押し切ってもいけると思うから」
「だよね~。悪即斬の早業で軽く捻り倒しちゃおー」
「……だからって油断は禁物」
「はいはい、わかってるって。……あ、最後に確認しとくけど、この高さからでほんとにいいんだね? 怪我しても僕のせいじゃないからね」
最後の忠告とばかりにディーノは背中の小さなパートナーに告げた。
「私は大丈夫だから、とっとと終わらせて帰りましょう」
「……わかった! そんじゃ、行くよ!!」
力強く気を吐き、ディーノは大きく羽ばたいて急上昇を始めた。
ふたりの眼差しの先、月の光を受けた白い雲の切れ目の先に満天の星空が広がっている。
ミリアとなら、このままあの星のもとまで飛んでいけるんじゃないだろうか。そう思えるこの瞬間がディーノはとても好きだった。
急上昇を続ける最中、それまでずっと前傾姿勢を保っていたミリアが急に上体を起こした。握っていた手綱さえも放してしまい、自らを十字架に見立てるかのように両腕を広げる。
その身体に、強烈な風圧が襲い掛かる。空気の巨大な拳に殴り飛ばされたような衝撃を受けて、ミリアの小さな身体はディーノの背中からあっけなく夜空へと放り出された。
そのままなにも抗おうとせずまっすぐ大地を見据える格好で猛烈な速さで落下していく。ミリアの小さな身体はあっという間に雲の中へと消えていった。
「……………………暇だ」
ため息が漏れる。いや、もはやため息も涸れ果てている。
広々とした平原のど真ん中。無能っぷりで有名な将校によって勝手に“エイリル王都陥落最重要拠点”と銘打たれた基地の見張り台の上。真面目に見張りの任につくわけでもなく、自前のなまくら剣を小脇に抱えて座り込み、少し雲の掛かっている星空を呆然と見上げながら、
「……………………ほんとに、暇だ」
今日、何回言ったか分からない言葉を繰り返す。
彼の名をジョシュアという。
一見して彼はただの一般兵に見えるが、その実本当に彼はラスタ帝国軍の一般兵でしかない。
忠義心に薄く、サボるのを常套とするのはどこの一般兵でも変わらないことで、彼もその御多分に漏れていない。もっとも、こんな辺境に建てられた拠点では見張るものなどなにもないに等しいことも事実だった。
正直、退屈以外のなにものでもない任務である。一般兵たちは持ち回りで回ってくるこの任務――特に、夜間の見張りを極端に嫌っている。これもまた、ジョシュアもその御多分に漏れていない。
「……ああ、ダメだ。俺の身体が紫煙を欲しているぜぇ。煙がなきゃあ見張りなんぞ出来ないなんてほざいてやがるぜぇ。――まったく、仕方ねえなぁ」
誰が聞いているわけでもないだろうに、ものすごく理に適っていない責任転嫁をしながらジョシュアは腰に帯びた小物入れから葉巻を取り出した。
よれよれに曲がってしまった葉巻を口にくわえ、もうひとつの小物入れに手を突っ込んでマッチをあさり、
手が止まる。
見上げていた星空に、さっきまではなかったものが目に入った。
それは、
「……ヒト、か!?」
そう思った次の瞬間には、その人影らしきものは拠点の中央テントに墜落し、
ドォーン
重い音と共に高々と土煙を巻き上げていた。
その落下してきた人物が、エイリル王国百竜騎士団に所属するミリア=エトワールという女騎士だったことをジョシュアが知ることは一生ないだろう。
口から葉巻をこぼしながら、彼は濛々と巻き上がる土煙をただ呆然と見ていることしか出来なかった。
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ドラゴンバラード
紫雲 正宗
0、
――それは、いまだ神話と歴史が混在していたころの物語。
――数多の英雄たちが神々の力を借りていくつもの功績を為していたころの物語。
そこは僕にとって、とても暖かく居心地のよい世界だった。
温もりの小さな海に漂って、僕は毎日夢を見ながら時を過ごした。
ただ、時々目を覚ますことがあった。それは、僕の世界が一段と温もりに包まれる時。
その温もりと一緒に聞こえてくる音。
……トクン……トクン……トクン……トクン……
その暖かい音に合わせて鼻歌を歌うのが僕はすごく好きだった。
だけど、僕はその暖かい音がどこから聞こえてくるのかよく分からなかった。僕の世界はまわりすべてが白い壁に囲まれていて、音はどうやらその壁の向こう側から聞こえてくるみたいだった。
……トクン……トクン……トクン……トクン……
もっと、あの暖かい音を聴きたい。この壁越しにじゃなくて直にあの音に触れてみたい。
だけど、この場所から出て行ってはいけないような気がした。一度出てしまったら、もう戻れないんじゃないかっていう気がした。
それがとても怖かった。
……トクン……トクン……トクン……トクン……
その日も僕は、壁越しに伝わってくる温もりと優しさに包まれながら鼻歌を歌っていた。
その頃になると、僕の世界を満たしていた温もりの小さな海は涸れてしまい、それでも僕の世界は心地よいものに変わりはなかった。
以前と変わらない、そこは僕にとって幸福な世界だった。その中で僕は、暖かい音に包まれながら鼻歌を歌っていた。
だけど、ある瞬間、急に温もりが遠ざかり、あの暖かい音も聞こえなくなってしまった。
そして、その代りに、
「君はもう大丈夫だよ」
声が聞こえた。
とても優しい、穏やかな声だった。
「君じゃもう、その中は窮屈でしょう? だから、もうそんな狭いところから出ておいで」
壁の向こう側で“誰か”が僕を呼んでいた。
誰か? 誰かって誰だろう? ここには僕しかいないはずなのに……。
「怖がらなくていいのよ。私がいつでも君のそばにいてあげるから……」
もう戻って来れないんじゃないか、なんてことはもう怖くなくなっていた。
ただ、その優しい声に、そしてあの温もりと心地よい音に、もっと触れてみたくて、僕は僕の世界を取り囲んでいる白い壁に手を伸ばした。
柔らかそうに見えた白い壁は思ったよりも硬くて、僕は爪を立てて壁を引っ掻いた。
そうやって何度か壁を引っ掻いているうちに、ついに壁にヒビが入った。
壁に入ったヒビは小さな穴を穿ち、あとはあっけないくらいにその周りから壁は崩れていき、
僕は僕の世界の殻を割った。
初めて目にする外の世界。そして目の前にはいつも温もりをくれていたヒトがいた。
「おはよう」
いったい、このヒトは誰なんだろう? なんかぼやけてて良く見えないや。
……だけど、なんとなく僕の頭の中にこんな言葉が浮かんだ。
“お母さん”
お母さん? お母さんってなんだろう?
わからない。けど、あの温もりと暖かい声をくれたヒト。やっぱり、“お母さん”が一番ぴったりな気がする。
あれ? そういえば僕って誰なんだろう?
その答えは、僕の体に流れる血がすぐに教えてくれた。
そうだ、僕はドラゴン。ホワイトドラゴン・ブリッツェン。
それが、僕の血が語る名前だ。
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